尾瀬の魅力を伝えます
尾瀬周辺案内・尾瀬体験記
オウレットトラベルHP より
尾瀬国立公園
以下尾瀬保護財団より抜粋
平成19年(2007年)8月30日、本州最大の湿原を持つ尾瀬は、オオシラビソ林や山地湿原など優れた自然環境を有する会津駒ヶ岳と田代山・帝釈山の周辺地域を国立公園区域として編入し新たな一つの国立公園、「尾瀬国立公園」として指定されました。
尾瀬では、現在、生育が確認されている高等植物だけでも900種類を超えています。
植物の種類や希少種の多さだけでなく、動植物やそれらをとりまく地形的、気候的環境も含む生態系そのものが、学術的にも、自然の素晴らしさを伝えてくれる場所としても貴重です。
半年以上を3〜5メートルもの積雪に閉ざされる尾瀬の自然の中で、植物の多くは5月中旬から10月中旬ごろまでの約5ヶ月間に凝縮された短い春・夏・秋の間に、芽を吹き、花を咲かせ、実をつけます。
入山者の目を楽しませてくれる色とりどりの花々は、厳しくも豊かな尾瀬の自然が見せる横顔のひとつです。.
雪が解け始めたばかりの白い湿原では、湿地に生える低木のヤチヤナギの黒い茂みが目立ち、前年の花の名残を残したまま新しい花芽をふくらませ始めます。
雪が解けた場所では、ザゼンソウやワタスゲが顔をのぞかせ花を咲かせます。間もなく、あちこちのせせらぎや水辺に沿ってミズバショウやリュウキンカが咲き始めます。
湿原全体に雪解けがすすむころには枯れ草の下から、ショウジョウバカマやタテヤマリンドウといった春の花が次々に咲き、周囲の林もシラカンバ、ダケカンバ、ブナの芽吹きで淡い紅や緑に彩られ、林床にはキクザキイチゲ、シラネアオイなどが咲きます。
山あいの斜面にムラサキヤシオツツジ、タムシバ、アズマシャクナゲの木々が艶やかな花を付ける頃には、湿原の雪は消え、みずみずしい緑が広がり、池塘にはミツガシワの白い花も咲き始めます。
ワタスゲの白い穂、ヤマドリゼンマイの葉の緑、カキツバタの紫、レンゲツツジの赤といった鮮やかな彩りとともに、季節は春から夏へと走り出します。
初夏、尾瀬の自然を特徴づける湿原では、ミズゴケの間にツルコケモモやトキソウが薄桃色の花を咲かせます。
池塘は意外なほど可愛らしい小さな白い花をつけるモウセンゴケで赤く縁取られ、オゼコウホネの黄色い花が水中から顔をのぞかせます。
そしてニッコウキスゲが咲くと尾瀬の夏はピークを迎え、多くの花々が咲き競い、昆虫たちの動きも活発になります。
8月、ニッコウキスゲと入れ替わるようにキンコウカが咲き広がると、湿原はそろそろ夏から秋へとうつっていきます
イワショウブ、サワギキョウ、ミズギク、ウメバチソウ・・・そして青紫色のエゾリンドウが咲くと花が季節に終わりを告げます。
10月上旬には尾瀬の山々が紅葉のピークを迎え、ブナの黄色、ナナカマドの赤、針葉樹の緑と、山は自然のパレットのように輝きます。
そんななか、足もとの草花たちは赤や紫色に熟した実を付け、明日へといのちをつなぐ最後の営みを行います。
10月にはいると霜が降りるようになり、雪が舞うこともあります。11月の中旬には雪が降り続くようになり、湿原や木道をみな覆い隠してしまいます。積もった雪は尾瀬のいきものたちを休ませる毛布のように、吹き続ける寒風から守り、やさしく包みこみます。
尾瀬は数百万年前までは、檜枝岐層群(ひのえまたそうぐん)と呼ばれる古生代の地層や花崗岩などが基盤となった平坦な高原上の地域でした。
浅い谷が北東に向かって流れ、西のはずれには蛇紋岩(じゃもんがん)の山体が隆起していて、これがやがて至仏山になります。
(2)火山活動の始まり
鮮新世(せんしんせい、510万年〜170万年前)になると火山活動が始まりました。
最初に噴火したのは景鶴山(けいづるさん)です。景鶴山の山頂部は岩峰になっていて、熔岩が突き出したもののように見えますが、実はまわりの熔岩がほとんど侵蝕されて堅い部分だけが残ったものです。
現在、景鶴山熔岩は景鶴山の南東部の山麓に残っているほかは尾瀬ヶ原の南側にあたるアヤメ平の山腹の半分位を覆っています。
つまり景鶴山熔岩はこの付近まで流出してきていたのですが、ほとんどが侵蝕され流れ出てしまったのです。龍宮小屋の側にある大きな岩(皮籠岩(かわごいわ))もこの熔岩であることが確かめられています。
(3)楯状火山の形成
更新世(こうしんせい、170万年〜1万年前)になると、火山活動はますます活発になります。
尾瀬沼の北側や東側(檜高山(ひのきたかやま))、アヤメ平、ススヶ峰、皿伏山(さらぶせやま)などが次々に噴火したと思われます。
この時期に活動した火山から流れ出した熔岩は、いずれも粘り気の低いもので、山容のなだらかな盾状火山(たてじょうかざん)を形成しました。
尾瀬沼から眺める皿伏山は、それの典型的な姿です。
(4)燧ケ岳の誕生
こうして尾瀬の地形は除々に出来上がってきたのですが、最後に噴出した燧ヶ岳の活動によって、ほぼ現在の姿となりました。
燧ヶ岳がいつごろから噴火を始めたのかははっきりしていませんが、更新世の後期、30数万年前ぐらいと思われています。
幾度かの噴火や熔岩の流出を繰り返して現在の姿になったのですが、山体はあまり開析されていないことから考えても、新しい火山であることがわかります。
(5)尾瀬ヶ原の形成
現在の尾瀬ヶ原にあたる地域は、この頃までには只見川(ただみがわ)の源流となる沼尻川(ぬしりがわ)や猫又川(ねこまたがわ)などによって景鶴山熔岩は流し去られ、やや平坦な半盆地状の土地になっていたと思われます。
燧ヶ岳から西に流れ出した熔岩は、温泉小屋付近や三条ノ滝(さんじょうのたき)付近で只見川を堰き止めます。
以前には、現在の尾瀬ヶ原をすっぽりと埋めるような「古尾瀬ヶ原湖」という水深200メートル以上もある巨大な湖が形成されたと考えられていましたが、その後の調査からは直接そのような証拠は発見されておりません。
今のところはっきりしていることは、尾瀬ヶ原の東半分程度が水没する浅い湖が16,000年前頃まであったということだけです。
(6)尾瀬沼の誕生
燧ヶ岳から南に流れ出した熔岩は沼尻付近を埋め立て、尾瀬沼を形造りました。燧ヶ岳の火山活動としては最後期となるものです。
※最近の研究では、沼尻付近を堰き止めたのは、溶岩流ではなく、燧ヶ岳の南側の山体の大崩落によるものであるとの考えも出されています。
現在の尾瀬ヶ原に当たる部分には、燧ヶ岳や周辺の山々から泥流が押し出して、ゆるい扇状地地形をつくったり、川が曲がりくねって流れ、氾濫を繰り返したりしていました。浅い湖はこの時に埋め立てられてしまいました。
この様な川の三日月湖(蛇行する川の一部が切り離されて湖となったもの)や後背湿地(こうはいしっち(氾濫した河水がもとの川に戻らず湿地状になったもの))などから、泥炭の形成が始まりました。およそ8,000年前頃と思われています。
現在の尾瀬ヶ原の泥炭層の厚さは、ボーリング調査などから見て4.5メートル以上ありますが、おそらく5メートルを超えるところは稀でしょう。
尾瀬の泥炭の堆積速度は、堆積した時代の気候、泥炭をつくる植物、分解度などによって異なるのが普通ですが、およそ1年間に0.7〜0.8ミリメートルと考えられています(従って湿原への踏み込みにより1センチ陥没した場合、その回復には10年以上の歳月が必要となります)。
平成19年(2007年)8月30日、本州最大の湿原を持つ尾瀬は、オオシラビソ林や山地湿原など優れた自然環境を有する会津駒ヶ岳と田代山・帝釈山の周辺地域を新たな国立公園区域として編入し、新たな一つの国立公園、「尾瀬国立公園」として指定されました。
新たな国立公園の誕生は、昭和62年(1987年)7月に釧路湿原国立公園が指定されて以来、20年ぶりのことでした。
地種区分別 ( 単位:ha )
特別保護地区 第1種 第2種 第3種 普通地域 合計
9,386 6,208 15,923 5,683 0 37,200
25.2% 16.7% 42.8% 15.3% 0% 100.0%
土地所有別 ( 単位:ha )
国有地 公有地 民有地 合計
20,312 184 16,704 37,200
54.6% 0.5% 44.9% 100.0%
県市町村別 ( 単位:ha )
群馬県 福島県 栃木県 新潟県 合計
片品村 檜枝岐村 南会津町 日光市 魚沼市
17,657 15,867 1,373 1,147 1,156 37,200
47.5% 42.7% 3.7% 3.1% 3.1% 100.0%
尾瀬は「ラムサール条約湿地」です
ラムサール条約は正式な名称が「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」とあるように、複数の湿地を移動する渡り鳥などの生き物や、その生態系を国際的に守るために作られたものです。
尾瀬は湿原生態系としての価値が評価され、2005年11月にラムサール条約湿地として登録されました。
尾瀬は「特別天然記念物」です
尾瀬は、国の「特別天然記念物」に指定されています。学術的価値が高く、その保存が厳しく義務づけられています。
わずかな変化でも、その影響は尾瀬全体に及んでしまいます。尾瀬の環境そのものを保護するため、現状を変更してはいけないこととなっています。